食本ブログ ~No food No Life, No Book No Life~

「美味しい」本を捜す旅。「食「読みように食べ、食べるように読む]

我が白鯨はファラフェルなり MOROCCAN COOKBOOK NIGHT AND DAY

ファラフェル、という料理をご存知だろうか。

潰したひよこ豆とスパイスを使った香ばしいコロッケだ。私は大昔にエジプトで食べ、旅の興奮もあってか今も忘れない料理だ。
ほぼ同様のものを都内某ベジタリアンサンドイッチ屋さんでも食べられる。スパイシーかつヘルシーで、今時の意識高い系にはストライクだと思うのだが、日本ではあまり見かけない。どうしてRF×とかコンビニで商品化されないのか不思議だ…
 
というくらい思い入れが強い。日本でも数回自分で試したのだが、未だ納得のいく物が作れない…だが忘れられない執念の喰いもの…そう、ファラフェルは私のMoby dickだ。
 
初めてファラフェルを作った時:
生のひよこ豆を一晩水に浸けてからFPで潰して、コロッケにして揚げた。加熱が足りなかったのか、生の豆を食べているようなモソモソ感があり、カイロの道端で食べたほっくりカリカリのファラフェルとは別物だった。おまけに翌日はお腹の調子もイマイチという惨敗。
 
2回目:豆をしっかり加熱しようとまず一晩水に浸け、茹でてからマッシュして揚げた。
これがまた大失敗で、ファラフェル候補は油の中でバラバラに崩壊してしまい、食べる所は残らなかった…
2度の揚げ物失敗という苦い記憶が残り、成功体験の伴わない好物となってしまった。
 
今回偶然手にしたこの本でまさに目からウロコならぬひよこ豆がポロポロ落ちそうな一言が書いてあった。
ひよこ豆は加熱すると固まらないので、必ず生のひよこ豆を使って下さい
だと…?不惑にして知る初めての事実。
何故こんな大切な事を学校で教えてくれないんだ!
 
つまり初回のやり方が正解だった事になる。それでは何故あんなに火の通りが悪かったのだろう…いずれにせよこの本のレシピでもう一度トライする価値はありそうだ。
 
さてこのモロッコ料理本、レシピや食器の選び方等個人的にはかなり好みだ。
大昔モロッコに行った時の記憶と言えばミントティーとタジン位だが、こうしてみるとモロッコ料理は魅力的なオシャレレシピが多いのね。
 
ニンニクやクミンパウダー、パプリカを使った味付けが多いが、使うスパイスの種類はインドやタイ料理よりは身近なものを3種類程度。使っている肉もマトンではなく鶏肉やカジキマグロ等、近くのスーパーで簡単に買える安価なものが多い。これなら我が家でも簡単に試せそう。現地風アレンジのTIPSもちょっと小技が効いてて嬉しい。
 
だが、ぱらぱらと読んでいるとレシピの誤植が数カ所あった。
例えば材料の分量が抜けていたり、材料に出てくる食材がレシピに出てこなかったり…
まあ本の内容が全体的に魅力的なので良しとする。
個人的には、ファラフェルさえ旨く作れればいいのだ。

 
今度こそファラフェルを成功させる度 ★★★★★
モロッコ風ミントティーを作りたくなった度 ★★★☆☆
 

 

モロッコ料理の本 MOROCCAN COOKBOOK~NIGTH AND DAY~ (momo book)

モロッコ料理の本 MOROCCAN COOKBOOK~NIGTH AND DAY~ (momo book)

 

 

 

縦書きへのこだわりと献立フレームワーク、そしてマスカルポーネ 「家めしこそ、最高のごちそうである。」

まさかの縦書き、右開きである。
「これはレシピ本じゃなくて、読み物なんだ!ちゃんと読めよ!」というメッセージなんだろうけど。
この人の料理の書き方は確かに細かい分量表示ないから、縦書きでも何とかなるんでしょうね。
材料の分量とかでは無くて、献立を立てる時に頭の中で描くストーリーを活字の流れに乗せたかったんだろうなあ…。

でも料理の手順をテンポ良く読書に「読ませ」るのってかなり特殊技能だと思う。佐々木氏の本は当然ロジカルでわかりやすいけど、料理が出来るプロセスを鮮やかに、湯気や香りが感じられるように…という意味では平松洋子さんとかの方がやはり鮮烈だと思う。
何というか、やはり佐々木さんの文章は料理というよりやはりシステマチック。
良い意味で頭で考えてから、味わってる感じ。

それでも献立の組合せを整理したフレームワークは一読の価値あり。料理のジャンルを取っ払って、素材と味、食感の組合せを整理してる。
普段家でご飯作る時、確かに無意識に似たようなことを主婦は考えて献立を組んでいる。
でもこうやって改めて言語化して整理して貰えると、思わず膝を打ちたくなってしまう納得感と新たな発見感がある。爽快。
それにしてもこの考え方って、何だか「昨日何食べた?」のシロさんメソッドと酷似し
てるなぁ。あっちの方が食費節約型だけど。

個人的には第5章がかなり真似したい度高かった。然も一つ当たりのレシピ字数少なめ。ここはSNS感覚で流し読み出来る。

そしてニクイのは、最後のレシピ逆引き用目次はしっかり横書きだった事。やられた。
どうやらこちらの思いはお見通しだったらしい…

マスカルポーネサラダと焼きそばとニンニク鍋を真似したい度:★★★★★
第三章と四章は旦那に読ませたい度:★★★☆☆

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。







必要なのは技術ではなく”捨てない”勇気

「捨てない」からといって、所謂食費節約レシピ本ではない。

そして決して簡単料理ではない。

普段使わない事が多い野菜の皮や根、例えば三つ葉やせりの根。

それらを捨てないだけでは無く、きちんとした手間と食材を使って堂々たる一品に仕立てるのだ。これは意外と覚悟が要る。

まず、「食卓に出す覚悟」。普段はまな板で切り落としてポイとしてているものを、きちんと取り置きして調理する。そしておかずの一つとして供するのだ。

我が家では蕪の葉の炒め物は定番だが、枝豆や空豆の莢を調理し直した事は無い。

これは主婦の賭けだ。美味しければ一発逆転ホームランだが、外れれば「廃品を苦し紛れにおかずにした」ということになってしまう。

巷で廃棄食品の転売が騒がれたが、食卓で廃棄食品の再利用疑惑が持たれてしまう。

もう一つは「買う勇気」だ。葉が付いた人参や、三枚卸しになっていない魚を丸まる買い、使い切る覚悟を持って挑む必要がある。

…と若干敷居の高そうな感想ばかり並べてしまったが、「お、コレすぐ真似しよう」

と思うどストライクレシピもある。例えばおせちの残り物、栗きんとんのマフィンや数の子の浸け汁を再利用した煮物。ピクルスの漬け汁の再利用もすぐに試したくなった。

いずれにせよ様々な食材が「残る」ような状態になるということは、そもそも全うな食材を沢山使って料理をするという大前提があるのだ。

この本がどこか高潔で、不思議と凄く高級レシピに見えるのは本に載っていない豊かな食生活が行間に垣間見えるからだ。

例えばハーブの残り物でパスタソースを作る=沢山のハーブが家にあったということだ。生クリームで簡単アイスを作るということは、生クリームが残るような別の料理を作ったのだ。

そもそも残らないから作れない…などと言ったら元も子もないのだが。

 

枝豆の莢を揚げるのは勇気が要る度 ★★★★★

高野豆腐のパンケーキはすぐパクりたい度 ★★★

 

捨てない料理 始末な台所 皮・根・葉もおいしくいただく

捨てない料理 始末な台所 皮・根・葉もおいしくいただく

 

 

 

 

 

 

 

 

侮れないカタクリ粉、140字レシピ感とまさかの巨匠〜おばあちゃんのおやつ

手元の古びた本の奥付に「昭和61年」という表記があり愕然。

小学生の頃「かわりくずもち」を母と作った記憶があるが、まさか30年目とは…この本は未だに我が家の現役選手なのだ。

「かわりくずもち」が鍋で一瞬で変容する様に、"カタクリ粉って不思議"

と驚いたこともしっかり覚えている。

登場するレシピはいわば郷土食や伝統レシピ、中でも簡単に作れるおやつ/軽食に絞られている。食材も冷やご飯や芋、黒砂糖や重曹など漢字表記が似合うものが多い。

だがなかなかどうして「おや」と思わせるような不思議な食材の組み合わせだったり、意外な調理手順のメニューが多く、今読んでも面白い。

主婦になってから改めて読むと、極めてプラクティカルなレシピが厳選されている事に気付く。シンプルだが味が良く、子供から大人まで楽しみながら小腹を満たせる素敵な料理が多いのだ。餅や米、醤油や味噌など日本人の味覚ストライクゾーンがっつり押さえているので、深夜や空腹時に読むと危険だ。

【特徴】①レシピ本なのに写真が一切無い②基本的に一つのレシピは見開き2頁

小さな挿絵のみで調理手順の図解も一切無い。原稿用紙を思わせる縦書き線と読みやすい明朝風の字体。分量も漢数字で表記している徹底ぶり。

最近の料理写真どアップ系カタカナ満載レシピ本とは全く逆の路線だ。

和風系の伝統的な料理を扱ったレシピ本はどうしても野暮ったい感じがしたり、

調理手順をひたすら辿っただけの実用一辺倒のものが多い。

だがこの本は単なる実用書ではなくレシピを「読む楽しみ」を追求したエッセイ集のようなものだ。

縦書き文字だけの調理手順を読んでいるだけなのに、「黒砂糖」「カタクリ粉」と言った字面にほっこりとした安心さえ感じる。

この文字レシピを読む独特の快感は何かに似ている、と思ったら

Twitterの140字レシピだった。

表紙の絵や字体等、改めてデザインの独自性に感心しながらもう一度奥付を見て

「装填 安野光雅」…30年目にして気が付いたΣ(゚Д゚;)。

 

巨匠長い間気付かなくて本当にすみませんでした度:★★★★★

明朝レシピいいね!度             :★★★★☆

醤油餅系レシピが飯テロ並み度                          :★★★★★

 

おばあちゃんのおやつ

おばあちゃんのおやつ

 

 

食べ物は時として、残酷な程真実を語る〜食べるたびに、哀しくって…

食べ物はキケンだ。それは時として食べる人の育ちや本性を容赦なく暴いてしまう。ふとした箸の所作や、食べ方で百年の恋が冷めることもあれば一緒に分け合って食べた料理が数年後に再び心を温めてくれる事もある。食べ物に関する思い出は、食欲と結びつくせいかなかなか忘れられない。その食べ物を見る度に思い出すことになってしまう。なかなか厄介だ。
『食べるたびに、哀しくって』はそういう意味でこれ程危険な読み物はない。

初めて読んだのは10年以上前だが、未だにこのエッセイに出てくる「炊きたての飯釜で暖め直した売れ残りのパン」や「釣船の上で食べた朝食」は私の記憶の味覚にしっかり貼り付いて、最早私の実体験と区別がつかないほどだ。

自分よりも美しい女の子、裕福な人々、そういったものへの妬みや卑屈な感情を描かせたら林さんの文章はダントツだ。
単に楽しかったとか、悲しい思い出とかそういうシンプルな感情ではない。過剰な自意識、自尊心と裏返しの劣等感…そういった想いが食べ物の記憶と並走して、一生心にしがみつく。
林さんの人間観察力や、描写力に強い妄執のようなものが感じられるのは頭だけではなく、自分の暗い感情すらも咀嚼し、呑み込んで消化するという生々しさがあるからだ。食べ物と記憶をリンクする「食欲記憶法」をマスターしたい人は必読だろう。




きのうも食べた、アボガドサラダ〜きのう何食べた?

最近我が家の食卓でもっぱらお世話になっているのはこちら。

手羽中の酢煮なんか、もう週ベースで登場する超定番となりました。

簡単ローストビーフもやったし、最新刊でケンジが作るデリ風アボカドサラダなんて

昨日も作りましたよ…。ささみわさび醤油もやった。

特徴として野菜レシピ&チープな食材を使った普段おかずに使えるレシピが多い。

しかも調理時間や洗い物を少なめにする手順等、普通の料理本よりも行き届いたこのTIPS。そして「どんな工夫をすると1レベル旨くなるか」という事を普通の台所で

目指し続ける主人公シロさん。つまり食べてくれる人=ケンジへの思いが言葉ではなく

食卓で表現されている。本当に本当にさりげなく。わざとらしくない、大人の愛情。

台所を預かるもの、忘れてはいけない原点ですね…お正月はシフォンケーキ真似します。

それにしても毎回、一回の食事当りのおかずの点数が多い…

ここだけは未だに真似出来ないので★一つ減点。本当にスミマセン(汗)

 

 

レシピ早速真似して作りました度:★★★★☆

地味なのに愛情たっぷり食卓度:★★★★★

 

食べる事と生きる事〜森瑶子の料理手帖

40歳を迎えて初めてのお正月、とにかく「毎日好きな事を発信しよう」と決めた。

どんなに仕事や育児や家事忙しくても、毎晩自分が読んでいる物…「食」に関わる本やマンガ、TV番組だと気付いた。

 

ブログの一発目にまず思いだしたのは彼女、森瑶子。37歳で初めての小説を書き、その後ものすごい数の小説を書き、三人の娘を育て52歳でこの世を去った彼女。ワーキングマザーという言葉が流行するずっと前の事。

彼女の小説やエッセイを読んでいると「女」「母」「小説家」という役割の狭間でキリキリと悩みながら生きている彼女の思い、それでもそれぞれの役割で美しく誇り高くあろうとする彼女のなりのハンサムな矜持が貫かれている。

食べ物にもその「矜持」と「自分の価値観と合致するものだけを選び取る」

という不思議な合理主義が共存している。

 

最初に読んだのは中学生頃の頃だけど、今自分が家庭を持つようになってから改めて読読み返してみると共感する事が増えていることに気付く。

というよりも思春期〜成人、就職、結婚というライフステージを経る間ずっと

「彼女のようになりたい」という憧れから自分の価値感が醸成されていたのかもしれない。彼女がこの世を去ったのは52歳。私の年齢プラス12年後だ。

私は後12年で何を残せるだろう…と思いながら、この正月は必ず久しぶりにサーディン缶を買って「ヨロン丼」を食べるぞ!と決意した元旦。

ハンサムウーマン度:★★★★☆

すぐ食べたい度:★★☆☆☆

 

森瑶子の料理手帖

森瑶子の料理手帖